それは突然ではなく、ついにやって来た。

八月が始まって最初の朝、胸部に違和感を感じたものの、すぐに治った。私は気にすることなくいつもと同じルーチンで数百メートルの長い坂を、老父の楽しみである宝くじと、食材の買出しのために坂の頂上にある住宅地で唯一のスーパーを目指した。
仲良くしている隣のばあちゃんは、最近この坂が登れなくなりバスで買い物に行くと言う。先日、帰りもバスに乗ろうとしたら荷物が重くてバスの入口から上がれなかったそうで、以来一人で買い物に行くことがなくなったらしい。それほど年寄りにはハードな坂なのだ。
災害レベルの猛暑と言われ連日41度を越えたなどとニュースで騒いでいたが私の街では大騒ぎするほどではないものの、それなりに暑い。
買い物を終えた私が、家にたどり着くとTシャツはたっぷり汗を吸い、脱いだTシャツはずっしりと重く濡れ雑巾のようである。私は、着汗を拭きシャツを着替えた後、昼食を作り、老父と食べた後は作業部屋にこもりパソコンに向かっていた。近頃は、簡単な処理であればタブレットで済ましているので、あまり作業部屋にこもることはなかった。パソコンを起動させることが面倒臭く感じているのだ。ただ、この日はパソコンでなければ面倒な作業であったため珍しくデスクパソコンの前に陣取った。
この作業部屋には、エアコンが無く、夏は暑く冬は凍えそうな中での作業になるのだが、他人を招く部屋ではないので気にしないでいる。
作業の区切りが着くまで、例えばダウンロード中やアップロード中などパソコン任せの時間、私は庭に出てタバコを吸うのが定番であった。ムンムンとした作業部屋から庭に出ると、酷暑のはずの屋外が涼しく感じる。

ドクターカーを呼ぶ

一本、タバコを吸った私は作業部屋に戻ると続きの仕事を終わらせ、エアコンの効いた老父のいる部屋へ行こうと立ち上がった。その時、キリッと胸に痛みを感じた。そのまま横になり痛みが通り過ぎるのを待とうとしたが、いつもの痛みではない。直ぐにニトロを一粒舌下に放り込んだが、効くという感覚を得られなかった。種類にもよるだろうがニトロは時間をおいて2錠目、3錠目と舌下に置いて回復を待つ。3錠目が効かなければ危ない状態と言われる。その時の私は、2錠3錠と様子を見る余裕は無かった。いつもの「安静にしておけば治る」そんな時にかけられる「救急車を呼ぼうか」の老父の呼びかけには、いつもであれば首を横に振る。この時の私は、老父の言葉をどこか遠くで聞き流しニトロを咥えると同時に119番を押していた。
「火事ですか、救急ですか?」司令台の声が聞こえる。「救・急・です」「胸が・・痛い」息を荒くそう答える私。「ドクターカーを行かせましょうか?」「は、い」。
10分程して、救急車のサイレンが遠くに聞こえ、やがて家の前に着いた。
私は、苦しいながらも、回復した時に手元に無ければ困るものを急いでトートバッグに放り込み、歩いてドクターカーに乗り込もうとすると「歩かないで」と隊員の声がした。ほんの数歩であったが、ストレッチャーに寝かされドクターカーに乗せられた。後方には消防の救急車も到着していた。救急車の後ろに隣のおばちゃんが心配そうにこちらを見ている様子が目に入った。
119番と同時に最寄りの消防署から出場していたのだろう。その後、ドクターカーを要請したため2台がほぼ同時に到着したわけだ。
そう言えば、両腕を抱えられた際に、隊員が「ドクターカーは往診料がかかりますがいいですか?」と聞いてきた。痛みに耐えている中、唐突な問いかけに頷くしかない。
後日、冷静になってからこの時の意味が分かってきた。
救急車(正確にはドクターカーであるが)に乗せられても、なかなか発車しない。これは経験済みである。受け入れ先の病院を探しているのだ。今回は、かかりつけ病院は中央病院であることを伝えていた。だから早く病院へ!とはやる気持ちで頭は一杯であったが、ようやく病院へ搬送されらことになった。暑さのせいなのか、冷や汗なのか、全身から汗が吹き出し、心電図の装着がなかなかうまくいかないようだ。その時、痛みの向こうでまた唐突な一言が「保険証をお持ちですか?」
「もってますけどーぉ、今、言わないでー」
私の呼吸は激しさを増し、痛みは大きくなった気がした。
どこを走ったのか、全く理解しないまま「あと5分」と隊員の声が聞こえた。車内が俄然慌ただしくなるなか、救急外来に着いた。

救急から病院へ託される

ドクターカーから処置室へストレッチャーが進み、「イチ、ニイ、サン!」でドクターカーから病院に私は託された。処置室でGパンを脱がされ、有無を言わさずパンツを下され、そして陰茎に管が挿入されたところまではなぜか俯瞰で見ているように記憶に残っている。
そして、看護師が「Tシャツを切りますね」と言い、私の返信を待たず切られた。もう全裸である。
救急処置室から、ストレッチャーが動き出しエスカレーターへ進む。
幾度となく訪れたかかりつけ病院の院内の位置は何となく理解でき、カテーテル室へ向かっていることは容易に理解できた。その間も、胸を襲う痛みに息も荒く苦しんでいたのだが、増築や新築で綺麗になっているとは言え、通路を繋ぐ境目に普段は気にもならない段差があり、健康な時は苦もない移動がストレッチャーが通過する度にかなりの衝撃が加わる。それも前後2度。些細なことが胸の痛みに響いてたまらなかった。

医者が右手の手首を触診し、カテーテルを入れる場所を探している。検査の時は、部分麻酔でその作業が見えているが、今日は痛みに耐えしっかりと瞼を閉じ、そして開ける。その繰り返しの中で、一瞬目にした光景を過去の検査と重ねて理解している。
以前と、様子が異なったのはカテーテルの導入部分に医者が立ち、カテーテルを操作しながら心臓へ向かって行く工程が記憶に無く、医者も離れたところにいる感じだった。
後で聞けば、狭窄している複数の血管をバルーンで広げて行ったらしい。
そこで、問題があり途中でカテーテルの処置を中止せざるを得なかったらしい。
狭窄している血管は広がったが、その先に血栓があり、どうしてもカテーテルがたどり着かない。血栓を吸い込むことも試みたようだができなかった。そのため、心臓バイパス手術を視野に一旦処置を終えたようである。
まだ、痛い、苦しいから解放されたとの実感はなく相変わらず苦悩の状態のままICU集中治療室へ向かう。相変わらず床の接続部が痛み響く。